自転車徘徊紀行 第26話 昆虫少年の悔恨
夏休みの時期になると、小学校の頃の自転車で通った虫取りの記憶とともに、悔恨を持って蘇る出来事がある。
私は臆病な性格なので、自転車に乗るのが怖くて、小学校4年生か5年生になってやっと乗れるようになった。
自転車は子供用だったと思うが、姉からのおさがりで、大人用の実用車をそのまま縮小したような地味な外観だったと記憶している。
自転車で行動範囲が広がったので、近所の同級生を誘って、数キロ程度の範囲にある雑木林や桑畑のある山に出かけるのが、夏休みの日課となる。
狙いは当然のようにクワガタやカブトムシだ。
第1話にも書いたが、ヒラタクワガタが好きなのは子供のころからだ。
自転車は林道の入口あたり、道の脇の空き地にみんなで止めて、歩いていく。
クワガタやカブトムシが集まる木はだいたい決まっている。
未舗装の林道から少し草を分け入ったようなところに在ったりするが、マムシがひそんでいるかもしれないところを、半ズボン姿で一本一本確認して回る。
マムシも怖いがスズメバチも怖い。
せっかく、大物のクワガタやカブトムシが樹液に集まっていても、スズメバチが一緒にいたら恐ろしくて近づけない。
そんな時は泣く泣くあきらめるしかない。
宿題もせず、そんな楽しい昆虫採集に明け暮れていたが、ある時、自転車を置いて歩き始めてしばらく行ったところに、恐らくは、山仕事か畑仕事に来たであろう人が乗ってきた自転車が、道の脇に置いてあった。
詳細には記憶していないが、実用車と呼んでいたやつだと思う。
現在のママチャリよりも重厚感があって、変速無しで、チェーンとギアは全体がカバーで覆われ、ロッドブレーキと金属製の巨大な砲弾型ライトが付いていたであろうことは想像できる。
その時、子供は4,5人だったろうか。
そのうちの一人が、置いてある自転車を見ながら言った。
「山に入ったら、やるかやられるかバイ」
全く、意味不明である。
「こんな時は、先にすっぞ」
補足を加え通訳すると、
「山ではやるかやられるかなので、先にやったもん勝ちだ。先にやらないと自分たちがやられる。やられる前に自転車の空気を抜いてしまうぞ!」
ということだ。
彼は、ウッズバルブ(英国式バルブ)のネジを回し、「プシュー・・・」と空気を抜いた。
空気が抜けきると、バルブを元の状態に戻したのだった。
私はその時、初めてウッズバルブの構造を少しだけ理解した。
テレビドラマかなにかの見過ぎなのか分からないが、彼は意気揚々と先に進んでいった。
彼が、誰君だったのか思い出せない。
いつも一緒に行動していた近所の子ではなかった気がする。
その後、しばらく、あいつはなぜあんなことをしでかしてしまったのかという思いと、自分はどうして彼を止めなかったのかという後悔が続いた。
空気の抜かれた自転車の持ち主は、家へ帰ろうとして自転車にまたがると、石を踏んでガタガタと先に進まず、タイヤの空気が入っていないことに気付き、がっかりしたか、憤慨したであろう。
ただ、誰かのいたずらとは気づかなかったかもしれない。
パンクと思い、自転車屋に持ち込んで初めて、パンクしていないとわかり、不思議に思うかもしれない。
そして、悪ガキどものいたずらと思い当たるかもしれない。
遭難につながることはありえない、たわいのないいたずら話だ。しかし、自転車で通った昆虫採集を思い出すとき、決まってこのウッズバルブ事件が思い返され、懐かしさと少しばかりの悔恨の念が蘇るのです。
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