自転車徘徊紀行 第22話 氷ノ山

氷ノ山(ひょうのせん)という名前の響きにひかれ、観光の空白地帯のような、鳥取、兵庫の県境にある山岳地帯を訪れたのは、30年以上前の5月の連休のことだった。

氷ノ山という山名とは対照的に、その地域には春めいた名前の地域があるのも面白く、訪れるなら、暖かいこの季節が似合いそうだ。
若桜(わかさ)、香住(かすみ)、春来(はるき)。

氷ノ山から扇ノ山に至る稜線上には、東因幡林道が通っており、ここがこの旅の主題といったところだろうか。
私は智頭急行線の郡家(こおげ)駅で、輪行袋を開いた。
一日目、雨滝街道を走り、途中から河合谷高原、上山高原へと登り、そして、浜坂へと下り、香住までひた走った。
この高原地帯、特別驚くようなこともないが、さすが観光の穴場、のんびりと走れるし、明るい山肌に残雪と見間違えるような白い花を満開にさせたモクレンの木々が印象的だった。

また、雨滝街道の名の由来の滝のすぐ下流に豆腐の製造直売店があり、そこでは、なぜかカツドンを食べたのだが、死にそうなくらい腹が減っている中、涙が出そうなくらいうまかった。
サービスで出してくれた豆腐の一切れも実においしかった。
出来ることなら豆腐をお土産にしたかったが、さすがに自転車で運んだら、とんでもないことになるとあきらめた。
この豆腐は、雨滝豆腐といい、現在もお店は健在のようだ。

香住の旅館の夕食はカニだった。
冬場に有名なズワイガニに良く似た紅ズワイガニはこの頃が旬らしい。
また、香住の町は海産物の店が建ち並び活気があってよろしい。

二日目は矢田川をさかのぼり、途中から桑ヶ仙林道、上りつめた峠から、尾根づたいに東因幡林道をたどって、扇ノ山林道を八東町へと下り、最後は出発点の郡家駅を目指すルートをとった。
東因幡林道は割と平坦で、原生林の中を行く落ち着いた静かな道だった。

残雪の中、数百メートルの押しがあったり、背丈に近い深さで、数メートル幅の溝が道を分断していたりで、苦労する場所もあったが、概ね地道も割と締まっていて、ランドナーでも何とか走れた。

ただ、結構な距離があり(未舗装路だけで、35kmくらいあるのでは?)、車は通行止めだし、それなりの覚悟と体力、
十分な食料と水、そして、ゆとりを持った計画が必要だ。(現在の体力でトライしたら遭難するかもしれない)
この時も、誰一人出会わず、途中、小雨も降り出し、最後は日も傾きかけて、すごく不安だった。

林道の至るところには水溜りが出来ていた。
「えい!」と叫んで、誰もいないことを良いことに、童心に返る私だったが、バシャ、バシャとやったとたん、ぞっとするものを見た。
水溜りの中、それこそ、何千と思われる数のオタマジャクシが蠢いているのだ。
一回の水溜り横断で、50ぴきくらいはふみつぶしたのではなかろうか?
少なくとも1平方センチ当たり、2,3匹はいたような気がする。
干上がりかけた所では、苦しむオタマジャクシが沢山いて、実に不憫なのだった。
おそらくは、数十年生きるといわれるヒキガエルだろうか?
私は、「恨まないでね」と念じつつ、道いっぱいに広がる水たまりを突っ切っていくのでした。