自転車徘徊紀行 第10話 夜叉神峠

秋になると、無計画に走ってひどい目に遭った夜叉神峠への旅を思い出す。

紅葉も終わりに近い11月後半のこと、甲府市側から紅葉の名所、夜叉神峠を超えて奈良田温泉を目指したときのことである。
峠のトンネルの入り口に着いたのは、かなり日が傾きかけた頃だった。
冬季車両通行止めというのは立て看板等で知ってはいたが、ゲートを乗り越えれば行けるだろうと安易に考えていた。
しかし、トンネルの入り口に見張り番のいかつい顔の男がいたのだ。
そ知らぬふりをして通りすぎようとすると、当然ながら呼び止められた。
「事故が起こっても責任はもてん、絶対通すわけにはいかん」という。
こっちも宿をとってる手前、何としてでも通してもらわねばならぬ。
しばらく押し問答が続いた後、登山者が通れるのだから自転車を押して歩いていけば文句はないでしょと言ったら、勝手にしやがれみたいな捨て台詞とともに開放された。

とりあえず、いかつい男から見えるであろう出口までは押して歩いた。
トンネルを抜けるとすばらしい景観を期待していたが、もうあたりは薄暗くなっており、新雪の北岳山頂だけを最後の夕日が照らしていた。
下に目をやれば、これから下っていく道が、地獄の入り口のような不吉で暗い谷底へとうねりながら続いているのが見える。
昼間であれば、まさに絶景なのだが、もはや車も人も通る気配はなく、宿に着く前に真っ暗になることは避けられず、不安でゆっくり景色を眺める余裕など全く無いのであった。

誰かいないかと少しは期待した国民宿舎広河原ロッジだが、完全に冬季閉鎖に入っており屋内外とも真っ暗だった。
やがて短いトンネルが次々に現れはじめ、しかもトンネル内には足首が浸かるくらいの深い水溜りがあって、足を濡らさないために停止するわけにいかず、ザバザバと重たいペダルを必死で踏まねばならない。
しかも、頼りのN社製バッテリーライトは時々接触不良を起こして消えてしまう。
そのたびに手で叩いてなおすのだが、気を取られて、地道の急カーブで、危うく路肩から飛び出しそうになる。
そんなわけで下りにもかかわらずペースは上がらずなかなか民家の明かりさえも見えない。
このまま何時までたっても闇から抜け出せないのではという不安が恐怖に変わり、いつしか大声で歌っていた。
ときどきあたりの草むらから得たいの知れない鳴き声とざざっという音がする。しかも私の後をつけてくるのだ。
あれは何だったんだろう。

もののけの気配に気が狂いそうになりながらも、やっとたどり着いた奈良田温泉の宿。
ほっと安心したのも束の間、間違い無く予約したはずなのに、宿の親父は予約は聞いてないし今日は満室だとそっけない。
その時の行き場のない怒りと絶望感は今でも時々よみがえる。
「夜叉神峠」、その怪しげな名前のとおり、私に十二分に恐怖を味あわせてくれた。

※昭和から平成のはじめころ、勤務時間に上司の目を盗み、fjニュースグループに投稿した記事を一部追加修正したものです。