自転車徘徊紀行 第16話 秘境が呼んでいる~遠山郷・下栗~
まだ、学生だった頃なので、40年くらい前だろうか、「サイクリストの聖地」等という表現も無かったが、自分にとっては、下栗の里は憧れの地であり、実際に訪れた時の強烈な印象は今も忘れることが出来ない。
なぜ、憧れかというと、ある紀行文で日本のチベットのようだと表現されており、平地で生まれ育った私は、いったいどんなところなのだろう、行ってみたいという思いが募ったためだ。
長野県の地図を開くと、天竜川と南アルプスの間にほぼ南北に直線状に続く狭い谷間があるのに気がつく。
そこには、水窪、南信濃、上、大鹿、長谷、高遠といった町や村※、青崩、兵越え、地蔵、分杭、などの峠が連なり、信仰の道、秋葉街道が通っている。(※当時の町村名)
また、上町や南信濃村一帯の地域の総称として、遠山郷と呼ぶ。
山々に囲まれ、更に遠くには南アルプスを望むこの地域の呼び名としては、とても似つかわしい名前だと思う。
上村の中心、上町には古い馬宿が残っていて馬を何頭もつなぐことができる広い土間がある作りだ。
かつては物資の流通は飯田の町との間を馬中心の交通手段で行われていたらしく、馬はきっと大切にされていたのだろう。
上町の宿に泊まったが、古老から昔話を聞かせてもらい、質素だがとてもおいしい田舎料理をいただいたことが印象に残っている。
上町の集落の東側の山の斜面をぐぐっと上りつめ、尾根を超えると標高約1000m付近に下栗の集落がある。
そこからは、見たことの無い風景が広がっていた。
まぶしい朝日を受けながら、はるか下を見ると未だ日の当たらない谷底に遠山川の流れが見える。
標高差500メートルはあるかと思われる、典型的なV字谷の向かい斜面が、ものすごい迫力で迫ってくる。
谷の最奥には南アルプスが朝日を受けて輝いていた。
特に聖岳は手を合わせて拝みたくなる神々しさ。
月並みな表現だが、まるでマッタ―ホルンのような存在感だ。
紀行文に書かれていたように、チベットのような風景の中に民家や畑が点在し、「日本で一番、天に近い村」という呼び名が、決して大げさではないと思った。
南向きの斜面のため、おそらくは日当たりは非常に良好だと思われる。
昔の人々は日照時間の短い谷底から太陽を求め、ここへと移り住んだのに違いない。
数年後、再び下栗を訪れた時、公共の宿に宿泊したが、廃校となった小学校跡に出来たものだ。(校舎をそのまま利用したのか建て直したものかは失念した)
そのころ、NHKで、おそらくは卒業生が書いた学校の思い出の文章と美しいスライド写真で綴った短時間のTV番組を見たことがある。
途中から見たのだが、そのときの白銀の山々を背景にした桜の花が印象に残っており、もしかしたら、下栗ではないかと気になっていた。
やはり、その山々は聖岳を中心とした南アルプスであり、その番組の舞台がこの下栗の小学校であったことを、この宿を訪れて確信したのだった。そして、その番組は廃校になることを惜しみ、故郷への思いをつづった番組だったのだと気づかされた。
私は桃源境と呼ぶのに日本で最もふさわしい土地は下栗の里だと思うが、こんな美しい別天地では子供もきっと心豊かに育つことだろう。
それゆえ、地域の人々にとっては、地域の学校が無くなったことは時代の流れとは言え寂しいものがあるのだろうと想像する。
下栗からさらに尾根をたどって行くと南アルプスの展望地として有名なしらびそ峠へと抜けることができる。
私は、1,2キロ程自転車で散策してみた。
拳大の石がごろごろしており、なかなかハードだったが展望は抜群だ。
いつか、再訪したいものだ。
上村の北には大鹿村、長谷村と秘境地帯、そして歴史ある高遠町へと続いている。
さらに杖突街道と呼ばれる道を北上すると八ヶ岳の展望が見事な杖突峠を経て諏訪湖へと至る。
このコースは、ほとんど観光地が無く、まさに自転車で走るためにあるのではないかと思える。
歴史の知識などまるで無く、ただの旅人である私でしたが、そこに、気の遠くなる程長く蓄積された庶民の苦楽の時間、自然と一体の暮しの厳しさと喜びなど深く感じるものがありました。
※昭和から平成のはじめころ、勤務時間に上司の目を盗み、fjニュースグループに投稿した記事を追加修正したものです。
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