自転車徘徊紀行 第17話 秘境が呼んでいる~四国カルスト~

今の時代は、スポーツサイクルに親しむ人は多く、ツーリングする人も多いと思うが、自分が元気のよかった40数年前は、自転車と言えば、貧乏旅行や野宿やキャンピング、「なんとか」一周などの盛んな時代だったように思う。
私も初めて出かけたロングツーリングが四国一周であったので、四国に対する思い入れは大きいのであります。

あの10日程の四国一周で毎日どれだけのサイクリストとすれ違ったことだろうか。
当時のベストセラーのBSユーラシアランドナーに乗っている人を沢山みかけた。
そして、すれ違いざま、見知らぬ者同士が手を挙げて挨拶したり、オートバイの連中もピースサインしてくれたり、そのことが、旅人達のお決まりごとのようになっていて、仲間意識を感じることが出来てとても楽しかった。

旅の終盤、佐多岬から九四国道連絡線のフェリーに乗って、四国を離れる時、デッキで中年の男が、港の岸壁で泣き崩れた母親らしき老婆に何時までも手を振りつづけていた光景が、今でも目に焼き付いている。
演歌のような世界が実際にあるんだなあと、人生経験の未熟な自分でも、しばらくは切ない気持ちになった。
そして、それまで走ってきた道程を思い、四国の内陸部や複雑に入り組んだ海岸沿いの交通の不便さを改めて実感したのだった。

もしかしたら、二度と四国の地を踏むことは無いかもしれないと感傷に浸った私だったが、社会に出てからは結構頻繁に四国を訪れている。

あの旅の終盤、四国カルストの天狗高原への登り、空腹で力は出ないし、連れはさっさと先を行ってしまうし、空腹に耐えきれず蓄えていたパン(貯パン)を食べながら、最後は押して歩きながらも何とか国民宿舎「天狗荘」にたどり着いた時の達成感みたいなものが心に残っていたからだろうか。

四国カルストは名前の通り、山口県の秋吉台と同じカルスト地形であり、愛媛県と高知県の県境の山岳地帯に位置する。

出典:国土地理院の標準地図に書き込んだものを掲載

秋吉台ほど規模は大きくないが、1000メートル以上の標高に位置することから、その展望はすばらしいものがある。
高知県側、東津野村から天狗高原の国民宿舎「天狗荘」を目指せば、遥か下から、既に建物が見えて、「ああーあそこまで登るのか・・・」と精神的に参るし、愛媛県側 柳谷村から天狗高原や地芳峠を目指すにしても、遥か下方から、高原の上を走る車が小さく見えたりして、同様に辛いものがある。

しかし、登ってしまえば、割と緩やかなアップダウンのスカイラインが待っている。
四国カルストは標高1000~1400mの東西に細長い高原であり、これだけの標高を完全舗装の道が15キロほどにわたって通っており、実に爽快な雲上のコースだ。
天狗高原、五段高原、姫鶴平、大野ヶ原といった名前がついた地域に分かれており、白い石灰岩の塊が点在し、たくさんの牛も放牧されている。
秋には一面のススキの原っぱが広がる場所もある。
4月に訪れたとき、日陰にはまだ沢山の雪が残っていた。南国高知と言うけれど、ここの冬は相当厳しそうだ。
畜産のために入植した人たちの苦労が偲ばれる。

天狗高原上空より、五段高原、姫鶴平方面を望む  出典:国土地理院「色別標高図」と地形データを3D化して掲載

 

この愛媛と高知県境に位置する高原に落ちた雨水が高知県側に流れると、鬱蒼とした黒い森を真っ青な渓流となって流れ下り、蛇行を何度も繰り返しながら、すこしずつ川幅を広げる。
そして、かの四万十川の堂々とした大河の流れとなって太平洋へと注ぐのだ。
盆地霧が点在する雄大な光景を見ながら、そんなドラマティックな水の旅を思い、次は四万十川をなぞり中村市あたりでテナガエビでも食おうかなどと思ったりしたのでした。

※昭和から平成のはじめころ、勤務時間に上司の目を盗み、fjニュースグループに投稿した記事を追加修正したものです。