自転車徘徊紀行 第18話 対馬

2023年1月12日

相変わらず、30年以上昔の思い出話だ。

忘年会が終わって、行き付けのスナックで飲んでいると、よく見かける常連の親父が、「無法松の一生」を歌いだした。
カラオケの画面には、映画のシーンが使われており、日本刀を持った高倉健が大立ち回りを演じている。
色っぽい共演の女優は若かりし藤純子だ。
自分はリアルタイムでこの映画を見た世代ではないが、カッコいい二人にほれぼれしてしまった。

「やっぱ、健さんは九州男児の象徴バイ」などと同じく九州育ちの自転車仲間と話しながら、玄海灘に漕ぎ出したいという思いが沸いてきた。

出典:国土地理院の標準地図に書き込んだものを掲載

ということで、そいつと二人、その年も残すところあと3日という頃、博多発厳原(対馬)行きのフェリーに乗ることとなった。
勇んで乗りこんだのはいいが、玄界灘は季節風に荒れ狂い、フェリーとはいえ、ものすごいゆれで、丸い船窓の外が海面になったり、鉛色の空になったり、ただじっと船酔いに耐えるのみであった。
地獄のような時間を過ごし、やっと着いた厳原港より走り出したが、しばらくは地面がゆれている感覚が治まらなかった。

われわれは、北に向かい、2日間走ったものの、結局は浅茅湾周辺、島全体の1/3くらいの地域を旅したに過ぎない。

主要な道路を使って、南北縦断だけを目的に最短コースを走っても、100kmを超えると思われるが、行き止まりの道は数知れず、「自転車で対馬一周しました」と言うのは簡単ではないと私は思う。

そして、アップダウンは半端でなく、鬱蒼と樹木の茂る山中を走ることが多く、海の景色を期待しすぎてはいけない。
集落は入江の奥のわずかな平地にぽつり、ぽつりと現れる。

とある集落を走っている時、止まっているパトカーから声をかけられ、停車させられた。
警察官は職務質問させてくれと言う。

何も悪いことしてねーぞとの私の心中を察したのか、彼は「海岸に行ったら分かりますが、ハングル文字の書かれた洗剤の容器なんかが、いっぱい落ちております。大陸がすぐ近くなんです。それで密入国者が多いんですよ。」と説明した。
更に「まあ、一目見れば日本人だと判るんですが、規則なんで、見慣れない人には職務質問することになっているんですよ」と補足した。

改めて、対馬が国境の島であることを実感した出来事だった。

厳原上空より浅茅湾方面を見る 出典:国土地理院「色別標高図」と地形データを3D化して掲載(高さは2倍強調)

 

この時は、あまりに対馬の一部しか走っていないので、翌年の夏も私は単独で、島の北半分を周回した。
島の北端から韓国が見えることを期待したが、あいにく天候が悪くてかなわなかった。
雨に霞む国防用レーダー施設、戦時中の砲台跡、鬱蒼とした黒い森、旧歴代藩主の数多くの墓石、急坂でスリップしての大転倒など、何やら暗く重たい印象を残して島を後にした。
そして、今思い出すのは灰色の映像ばかりだ。

最近、ネットで対馬を検索すると、サイクリングするイベントの情報やツーリングした旅行記などがあって、風光明媚で食べ物がおいしい島だと美しい写真や動画とともに紹介されている。

走り残した島の南半分には石屋根の家の残る集落があり、秘境感がたっぷりのようだ。
いつかは訪れたいとは思いながらも、移動を含めるととてつもなく遠く感じていた。
しかし、ネットの情報に触れて、もう一度、玄界灘を渡ってみたいという思いも湧いてきた年末の今日この頃なのです。

※昭和から平成のはじめころ、勤務時間に上司の目を盗み、fjニュースグループに投稿した記事を追加修正したものです。