<驚愕>八代平野の山並みは古代人が天球を模して造った!(1)

なんとも、恥ずかしいくらい “トンデモ科学” 的なタイトルだが、これまで取り上げてきた謎について、常識抜きで謎ときに挑戦したい。

専門家に問う

何はともあれ、地形については専門家の意見を聞くべきだろう。
そこで、日本地質学会が質問を受け付けているというので、質問をしてみた。
あまり、一度にたくさん聞くと答えてくれないと思うので、

山並みの不思議~保存版!謎リスト(その1)

に挙げた謎リストのNO.1についてのみ、おおよそ、そのままの内容で投げてみた。
くれぐれも、オカルト的なにおいがしないよう気をつけて。
1回督促したが、地質を表す図とともに回答を頂いた。(専門用語も入っていて理解が難しい)

そのままの回答を記載するのも避けた方が良さそうなので、ポイントだけ記す。

  • 半円形に並んでいる一重目、二なく半円形に見えるのではないか。

回答内容は、広報担当の学会会員等が回答しており、学会全体で検討・検証したものではないとのこと。

分かったような分からないような感じだが、一言で言えば、「たまたま三重の半円の並びに見える」ということと理解した。
私としてはこれで納得とはいかない。
特に放射状に存在する相似形の山については回答に言及されていなかった。
(現地調査もしていないのに回答するのは難しいだろうというのは理解します)
ただ、火山や隕石によるものではないと考えてよさそうだ。

世界中に残る謎の古代文明の痕跡

地質学会の回答から、多重に半円状に山が並ぶように見えることは、地質学的にあり得るとして、相似形の形の山の配置については、私は、「古代人が手を加えて造った地形」という仮説を立てて検証していくこととする。

現代の常識からすれば、記録にも残っていない大昔に、人間が低山とはいえ地形を削ったり足したりして、特別な形を形成することはありえないことだろう。

しかしながら、どうやって作ったのか、また、何を目的に作ったのか、現代の常識では説明がつかない遺跡というのは世界中に実在しており、新たな発見もあいついでいる。特に宇宙から精細な映像を見れるようになったこともあり、ナスカ以外にも多くの地上絵が見つかっているのは良い例だろう。

文明どころか人さえ住んでいなかったと思われるような場所に、とてつもない巨石建造物があったりすることを考えると、日本にも低山を加工することが出来る高度な文明があって、自然の山に手を加えていたとしても不思議ではないと思う。
そして、何らかの原因でその文明は滅び、そのほとんどの痕跡は消えてしまったということがあったとしても不思議ではないと思う。

巨石は長い年月でも残りやすいが、山を加工したものは、木々の繁茂により自然と同化して長い年月の間に自然のままの山と区別がつかなくなるだろう。

しかし、加工した山の形状は完全ではないかもしれないが残るのではないだろうか。では山の形がどれくらいの年月変わらないのだろうか?

古墳時代の墳墓を見ると、木々が生い茂ったことを除けば、作った当時の形状が保持されているものが数多くあり、そのことから少なくとも数千年くらいは大丈夫そうに思える。

ほとんど雨の降らない地域で地表の石を取り除くなどして描いた地上絵が長い年月残っていることはよく知られているが、日本の様に湿潤な気候でも、地表は木でおおわれるため、地形自体が大きく崩れることは防げるのではないか。

仮説

数万年たっても、ほぼ地形は保持されるという前提で考察し、次の仮説を提唱する。

歳差運動により、天球と地上の位置関係は25800年周期で変化しているが、天の川銀河の赤道が地平線とほぼ完全に重なる事が発生する時代がある。
八代平野の東の山並みは、そのときの天の川銀河の中心付近が地平より上ってくるときの姿を山並みの形として地上に表現したものだ。
天の川周辺の重要な星や星座は山のピークや形で表現されている。

これらは、天球を地上に映した宗教的な施設もしくは天体観測施設だ。

そして、天の川銀河の赤道が地平線と重なる事が発生し、かつ、天体と山並みとの位置関係を考慮すると、紀元前24900年~紀元前24800年頃がその時代にあたる。

紀元後1000年にも同様の天体の配置となったが、さすがにそのころ山を造成したのであれば記録に残っているはずだ。

次回より、この仮説に至った根拠について説明を行っていく。 <<つづく>>