自転車徘徊紀行 第5話 五家荘
これは昭和の話ですが、その時、私が乗っていたのは、ナショナル自転車のラ・スコルサというランドナーでした。
ツーリング中にボスフリーが勝手に解体して中のベアリングが飛び散ったり、前後のフリーの玉押し?がしょっちゅう緩んで、ホイールがカタカタしたり、トラブルが多かった。
しかし、私の不注意の交通事故で壊れるまで、1年くらいの短い期間だったけど、頑張って走ってくれました。合掌。
五家荘(ごかのしょう)は熊本県泉村の東部に位置する仁田尾、葉木、樅木、久連子、椎原という5つの集落の総称である。
地元では「ごかんしょ」とよぶ。
九州のほぼ中央、九州山地の真っ只中にあり、宮崎県の椎葉村や米良荘(西米良村)とともに平家落人の伝説を秘めた秘境とよぶにふさわしい地域だ。
球磨川の支流である川辺川がここを流れ、非常に深いV字谷を形成しいている。
川辺川の東側は国見岳を主峰とする1500から1700メートル級の山々が並び椎葉村と接している。
西側も1000から130Oメートル級の山地により、八代平野と隔てられている。
五家荘へはバスも鉄道もないが、砥用町(ともちまち)から二本杉峠を越えて川辺川に沿って下り、五家荘、五木村を通って人吉に達する国道445号線が走っている。
また、八代平野とは朝日(ワサビ)峠、笹越え峠、子別峠(こべっとう)などの峠を越える地方道が通じている。
これらの峠は1000メートル前後の標高であるが、平野側からは、ほぼ海抜0メートルから登る事になり、勾配もきつく、信州の名だたる峠と比較しても険しさでは引けをとらない。
また、五家荘は古来より川辺川ぞいの道を通じての人吉方面との交流よりも、山道を超えての八代平野との交流の方が盛んだったと聞いたことがあり、これらの峠は歴史的に見ても名峠と呼べるものだろう。
パスハンティングには格好の地域である。
私は五家荘とは直線距離にして30キロにも満たない八代平野の一角で生まれ育ったにもかかわらず、初めてここを訪れたのは大学2年生のころであった。
それは初めての自転車一泊旅行でもあり、経験、体力共に未熟でかなり無謀な旅だった。
熊本を出発し二本杉峠の登りにさしかかった時には既に足に疲労感があった。
それからまもなく足がつりはじめ、乗ったりあるいたりの繰り返しだった。
非常に辛かったが、標高が高くなるに従い紅葉が色鮮やかになり、その美しさに幾度もカメラのシャッターを押した。
これでもかこれでもかと現れる急勾配のヘアピンカーブ。
それでも峠が近づくと、なだらかな高原の趣となり、すすきの原っぱを涼しい風が吹き抜けていた。
峠ではじいちゃんばあちゃんの7、8人の団体が弁当を食っていた。
珍しがられて輪の中に引っ張り込まれる。
いろいろ世間話をしてジュースなどごちそうになった。
自転車に乗っているおかげで得をすることもある。
峠を下りはじめると、徐々に谷は深まり、対岸の壁の様な山の斜面はそれまで見たことのない圧倒的な迫力の紅葉でおおいつくされている。
そして、峠の前後で気温や樹木の種類、そして空気の香りまで明らかに違っていることを実感する。
紅葉は峠を越えてからより一層鮮やかで、ひんやりと湿った空気までも赤く染めているかの様だった。
しばらく細い川辺川沿いを快適に下るが、やがて吊り橋で有名な樅木の集落へと、支流をさかのぼる道へと折れる。
この日は樅木の民宿樅木山荘に予約を入れてある。
民家の全くない道を深い山ひだを忠実になぞりつつ、ひたすら登っていく。
足は再びつりそうになり何度も休憩を繰り返す。
樅木の集落は折り重なる山ひだに隠れているのか、いつまでも見えない。
刃折れ、矢はつきといった感じだが、なんとかかんとか前進する。
やっと、燃える様な色彩の谷の中腹、あたかも木に引っかかったクモの糸のような白い吊り橋が遠くに見えた。
その風景の美しさにしばし見とれていた。
吊り橋は渡るのにかなり勇気が必要なくらいの高さと長さがあり、少し老朽化した箇所から谷底が見えるのが不安に拍車をかけている。
しかし通学など日常的に使用されており、この橋を渡らなければ、数キロの回り道を余儀なくされる。
住民の生活にはなくてはならないものらしい。
このような急峻な地形に通常の橋を架けるのは技術的にも、経済的にもかなりの困難を伴うのだろう。
きっと吊り橋が最も合理的な方法なのだ。宿ではやまめと山菜づくしの料理を腹一杯堪能する。
初めての一人旅は何もかもが新鮮である。
二日目は笹越え峠を目指す。
宿の人に別れを告げ外へ出ると、谷むこうの山塊の背後から朝日が昇るところである。
谷底はいまだ暗いままだ。
笹越え峠への分岐までは、寒い位の気温の中をひたすら下る。
椎原の集落から笹越え峠へと折れ、また急な登りの始まりである。
椎原は別名を五家荘銀座と呼ばれているが、どうしてそんな安易な呼び方をするのだろう。
まるでイメージが違うし、すごい田舎というだけで十分魅力的なところなのに。
笹越え峠の少し手前にせんだんどろきの滝がある。水量が豊富で、落差も十分、なかなか立派な滝である。
また、滝壷の近くにたたずむと吸い込まれてしまいそうな幽玄な趣だ。
見学の後、自転車の所に戻ると、老人とその孫と思われる5、6才の男の子が私の自転車を見ている。
老人は私に気づくと「こら何ね?」とアルミのボトルを指して聞いてきた。
「そら水筒ですたい」と答える。
「わしゃエンジンかと思うた」と言って老人と男の子は大笑いしている。
笹越え峠のトンネルを抜けると、どっしりと富士山の形をした山が現れた。
この山は通称肥後の小富士と呼ばれている矢山岳だ。
その向こうには広々とした八代平野が望まれる。
矢山岳は幼い頃より見なれた山で、中学の時、登校時にはその背後から朝日が昇るのを、また下校時には山頂でかすかに光る電波塔の明かりを見たものである。
その姿をまるで反対側から見ているわけだ。
ここまで遠く高い所に来たのだという感動が静かに込み上げてきたのだった。
この旅はその後の私のサイクリングのスタイルを決定づけた。
すなわち、”峠”,”一人旅”,”秘境(田舎)”の世界にのめり込む事になったのです。
その後、紅葉の頃、幾度かこの地を訪れたが、この初めての旅の時ほど美しい紅葉にはお目にかかっていない。
もしかして、五家荘の紅葉が記憶の中で実際以上に美化されているのかもしれない。
それを確かめるためにももう一度訪れてみたいと思うきょうこのごろです。
※昭和から平成のはじめころ、勤務時間に上司の目を盗み、fjニュースグループに投稿した記事を一部追加修正したものです。
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