自転車徘徊紀行 第19話 風雪流れ旅 敦賀から能登へ(後)
雷の音でびっくりして目が覚めた。
悪い夢を見ていたような気がして、昨晩のことを振り返る。
金沢市内、香林坊の居酒屋で海の幸と地酒を味わって幸せな気分になった後、締めにおでん屋のカウンターでひとり大根を食べていると、隣にぐでんぐでんに酔っぱらった太ったおばさんが座ってきて、誰に向けてか分からないが、何やらわけわからん独り言を言い始めたのだった。
話しかけれぬよう黙々と食べていたが、ついに「にいちゃん、ダンスしに行こ?」と話しかけられた。
やばいと思い、聴こえぬふりをし、「あっしにはかかわりのねぇことでござんす・・・」と心の中でつぶやきながら、急いで勘定を済ませて店を出た。
駅前のビジネスホテルに帰り着いた時、ビニールの袋がにわかに強まった風に舞っていた事を思い出し、天気は下り坂だったのだと今更ながら気づく。
しかし、真冬に雷が鳴るとは。
九州の人間には驚きしかなかったが、日本海側では「鰤起こし」といってこの頃良く鳴るらしい。
外に出るとなんと台風並みの強風だ。
曇ってはいるが幸いに雨や雪は降っていない。
この日は海岸ぞいに能登半島へと行けるところまで行くつもりである。
まずは金沢市のとなり内灘町の海岸を目指して走りはじめる。
しかし、もろに正面から吹き付ける強風を受けて遅々として進まない。
平地にかかわらずギヤはローエンドローである。
市街地を離れ民家がなくなるとますます大変で、危うくセンターライン付近まで吹き飛ばされそうになる。
やっとの事で丘をこえると砂浜の海岸が見えるだろう所まで来た。
勢いをつけて登りつめたとき、そこで見た風景は今でも強烈に目に焼き付いている。
空も海も鉛色でそのはっきりしない境目あたりから、無数の巨大な波が白い飛沫を上げながら打ち寄せてくる様は、それまで見たどんな海の様子とも違っていた。
浜まで降りてみるとびしびしと砂が顔に吹き付けられ、波と風の混ざり合ったすさまじい音だけが聞こえる非日常的な風景だ。
私はただ唖然としてしばらくぼんやりと立ち尽くしていた。
結局、その日は午後からますます天候は荒れだし、雨まで降りだしたため、富来町福浦という能登半島の付け根の小さな漁港の民宿に泊まる事にした。
民宿の初老のおばさんは波にさらわれるから自転車を玄関に入れろと言う。
いくら海に面しているといっても、防波堤に囲まれた湾内である、
まさかと笑ったら、以前民宿の自転車が被害にあったとのこと。
その夜、風は一段と激しさを増し、古い家屋全体をぐらぐらと揺すぶり、屋根が吹っ飛びはしないかと思ったほどだった。
私は台風が来るたびに、血沸き肉躍る九州人であるが、この時ばかりは恐ろしくて寝付けなかった。
翌朝、雨は雪に変わり、まさに風雪流れ旅、ふらりふらりと風や雪に流されたり、逆らったり、和倉温泉駅で力尽き輪行となったのである。
私は寒い季節は寒い地方に行くというのが旅の一つの極意だと思う。
自転車でこれを実行するのはいろいろな困難や時には危険が伴うので、慎重に判断する必要があるかと思うが、このときの北陸行きは、短い旅ではあったが忘れがたいものとなった。
帰りの大阪行きの電車で、相席となった元気のいい中年のおじさん二人が大量の海産物の干物とウイスキーを出してきて宴会となった。
おじさんたちの声が小さいのか、電車の騒音がうるさいせいか、それとも酔いが回ったせいなのか、なぜか彼らの話が途中から理解できなくなった。
しかたなく、相槌ばかり打っていたような気がする。
そのため、会話の内容をほとんど思い出せない。
ただ、ひとりが「俺は椎名誠とツーカーの仲だ」と真偽不明のことを言っていたことだけ覚えている。
※昭和から平成のはじめころ、勤務時間に上司の目を盗み、fjニュースグループに投稿した記事に大幅に加筆修正したものです。
<<おわり>>
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