天の川と八代平野の山並みの驚くべき一致

天の川と地形の類似について

これについては、八代平野の宇城市の田園地帯から見た東の山並みの稜線が、天の川銀河の形に偶然とは思えないほど類似点があると、以前の一連の投稿の中で説明した。

<驚愕>八代平野の山並みは古代人が天球を模して造った!(2)

これまでの考察で、天の川銀河の形と山並みの形、見かけの大きさに類似性があると確認したので、あとは、実際にそれらが重なって見えるタイミングあったのか?、あったとすれば何時か? そして、どように見えるのか? その時が山の造形を行った時代なのではないか?という疑問や推測を検証していこうと思う。

以前の投稿の中でも、紀元前24900年~紀元前24800年頃、銀河の赤道が、八代平野の例の地点(※)における地平線とぴったり重なることに触れた。
この条件の時が、山並みと天の川の形が位置も含めてきれいに重なって見えると大まかには予測している。

先日、天文シミュレーションソフトウエア「ステラナビゲーター11」を入手したので、更に詳細に調べていこうと思う。

※「例の地点」とは
相似形に見える日岳と矢山岳、Aの山とBの山の稜線が、ほぼぴったり重なって見える地点。
一旦、北緯32度36分48.59秒、東経130度41分43.2秒においている。
偶然にしてはあまりに奇妙な一致のため、ひごもっこすんは、この地点に何か重要な意味が隠されていると考えて謎解きを続けている。

過去の天の川の配置をシミュレーションする

ステラナビゲーター11は、紀元前10万年~西暦10万年の間の天体の様子がシミュレーションできる。

天の川は我々の住む地球が属する銀河系を地上から見た姿だ。遠くの星は一つ一つの見分けがつかず、光の帯のように見える。
説明がうまくできないので、おおざっぱに言えば、天の川の帯のセンター付近を銀河赤道として、空を伏せたお椀の内側の球面(天球)と見立てて、銀緯、銀経の座標(銀河座標)が定義されている。
銀河系の中心方向はいて座にあって、そこを銀緯0°、銀径0°とされている。
この付近は特に星が密集しており、銀河の帯の幅が最も広く明るく見える部分だ。

天球上の座標は、他にもその地点での方位や高度を示す地平座標や地球の自転を基準とした赤道座標や太陽の軌道を基準とする黄道座標などがあって、目的によって使い分けられているようだが度々頭が混乱してしまう。

銀河赤道は天球をぐるりと一周しており、地球の自転に伴い、他の恒星と同様に天の北極、天の南極を通る軸を中心に東から西へ一日をかけて1回転している。

また、地球の自転には、歳差運動というものがあり、コマが回りながら首を振るのと同じように回転軸が約26000年周期で円を描く。

そのため、時代や時間によって天の川の見え方は変わってくる。

例えば、西暦2022年、西暦1年,紀元前5000年、紀元前20000年の銀河系の中心が南東方向の地平線より出た瞬間の星図を下に掲載する。
いずれも銀河赤道は地平線といくらかの角度を持っており、銀河赤道と地平線は一致していない。
なお、背景の縦横の線は地平座標の方位と高度を10°間隔で表した線だ。

 

西暦2022年

 

西暦1年
紀元前5000年
紀元前20000年

 

天の川が地平線と完全一致するのはいつの時代か?

次に銀河の赤道が地平線と一致しながら地平に表れる瞬間を、手作業で日時設定を変えながら探した。

現在から紀元前25000年までさかのぼり調査した結果、3つの時期を見つけたので、その時の星図を掲載する。

私がステラナビゲーターで慣れないながらも時間をかけて調べた限りでは、紀元前25000年~現在までの期間で銀河の赤道が地平線と重なりながら、銀河の中心が上ってくるのはこの3つの時期だけだった。

西暦1080年
紀元前9943年
紀元前24915年

西暦1080年と紀元前24915年はほとんど同じ現れ方だ。
これだけの時間差があると恒星によっては位置が変化しおり、例えば蠍座の形が若干変化していることがわかる。
紀元前9943年は銀河の赤道が地平線が重なるものの、銀河の中心方向はかなり北にある。

紀元前9943年の天の川や恒星の配置に対し、八代平野周辺の地形の類似点が見いだせないため、人類が意図的に地形をいじった可能性があるとすれば、紀元前24915年ころだと考える。

さすがに、紀元前1080年頃であれば何らかの記録か伝承が残っているだろう。

紀元前24915年、天の川が山並みの背景から表われるときの姿

ステラナビゲーターでは、地形図データをもとに、星図と重ねて表示する機能があり、今行っているような検証に役立つことが期待できる。
しかし、地形図データが50mきざみとのことで、生成した画像が粗すぎる点が残念だ、

明るい時間帯における例の地点(北緯32度36分48.59秒、東経130度41分43.2秒)より見た宇城市の山並みをシミュレーションしたものが下図だ。

地形データより生成した明るい時の山並み

 

次に、紀元前24915年、天の川の中心が7度ほどの高さに登ってきたときの星図を示す。
山並みの稜線と天の川の概ね銀河赤道から下の部分の雲のような光のうねりがよく似ていることがわかる。

そして、銀河系の中心点が見事なまでに、日岳ー矢山岳のすぐ上に位置している。
さらに蠍座は、Bの山を中心とするサソリの地上絵のような地形の上空に、これも見事に直立する。

天の川が地平より上り始めて40分ほどが経過

ここまできたら、山並みの詳細がわかる実際の写真と比較してみたいと思う。

自分で作ったパノラマ写真と合成することも可能だが、こちらも、同程度の粗っぽさになってしまうようだ。
今後、もう少しトライしてみたいと考えている。

今回、ステラナビゲータで作った星図の画像に山の写真を手作業で張り付けてみることにした。

星図に昼間撮影した山並みの写真を重ねる

更に類似するポイントを書き込んでみた。
山並みの稜線だけでなく、山肌にある小さな谷やひだに相当する部分が天の川に存在しているように見えるのが大きな驚きだ。

両者に類似性が見られる部分について書き込みを行ってみた。
以前の投稿でも同様のことを図で示したが若干内容が変わっている点はご容赦願いたい。

似ていると思われる部分を対応させてみた

天の川の形といっても、雲のように輪郭がぼやけており、上図のオレンジの縁取りは「そこは違うだろう」と言われてもおかしくない箇所がいくつかあるが、そこには私の意図が多少は介在してしまっているかもしれない。

しかし、見かけの大きさや稜線だけでなく、細かい地形についても良く一致する箇所があると今回改めて確信した。

まとめ

日岳―矢山岳ラインとA山―B山ラインが重なる地点、北緯32度36分48.59秒、東経130度41分43.2秒の地点に立って、八代平野東側の日岳、城山を有する山並みの稜線を見ると、その形状や見かけの大きさが、天球上の天の川銀河の光の帯と偶然と思えないくらい一致している。
実際に山並みを背景に天の川銀河が上ってくる時期は、西暦1080年頃と紀元前24915年頃だった。
その時の天の川の様子と山並みを比較すると、大きさや山の稜線がよく一致し、さらには谷や山ひだの位置や形まで対応がつく箇所があり、ただの偶然とかパレイドリア現象とは言えないのではないか。
ということで、更にステラナビゲーターを活用しながら、天体と地形の謎について深堀していきたい。

念のため付け加えますが、銀河赤道が地平と一致するといっても、特定の地域で起きる瞬間的な現象であり、何か天変地異が起こることはないと考えます。今回シミュレーションした八代平野の特定の地域からずれると、起きる時期が変わってきます。きわめてローカルな現象です。芸術家魂のある古代人が、天の川を借景とした巨大なモニュメントを造ったということなのかもしれません。
※今回掲載した星図の出典は(株)アストロアーツのステラナビゲータ11で作成したものに、ひごもっこすんが、写真や図形、文字 を描き加えたものです。