夕焼け空に回想する

酷暑の夏だったため、少しは涼しくなる夕方の5時前後からポタリングを始めるのが日課となっていた。
10月になっても、変わらず5時前後に出かけるものだから、帰宅する頃にはすっかり日が落ちて暗くなっている。
そろそろ、ポタリングの時間帯を変えないといけないと思っている。

そんなわけで、天気の良い日はきれいな夕日をおがむことができる。
特に干拓地の防潮堤に沿った道を走ると、天草諸島に沈む夕日がきれいだ。

あるいは、夕日に照らされた入道雲が、新海誠のアニメーションに登場する情緒的な空の風景を思い出させてくれたりする。

美しい夕焼雲を見ると、決まって、40年以上前、大学生の夏休みの時期、倉敷の某自動車メーカーに工場実習に行った時のことを思い出す。
自分は電気系の学科の学生だったが、観光地に行きたいという安易な思いから、実習先として、就職先として希望しないであろう自動車メーカーを選んだのであった。
実習生は他の大学から来た2名と私と3名だったが、一人は地元の学生で、私ともう一人は九州から来ていたので社員寮に入った。

実習期間は、確か2週間程度だったような気がする。
私は熊本、もうひとりは長崎の大学から来ており、同じ部屋に入れられた。
かなり記憶は薄れたが、彼の容姿はよく覚えている。
「大都会」などの曲で人気のあったクリスタルキングの高音担当のボーカル田中氏とよく似ていたからだ。
本人もバンドを組んでいるとのことで、田中氏を意識してアフロヘアだったし、時折、クリスタルキングの「蜃気楼」を少ししゃがれた声で口ずさんでいた。
そのとき、我々は大学2回生だったように記憶している。
就職は未だ先なので、私も上に書いたような安易な気持であったし、彼もそんな髪型でも平気だったのだろう。

仕事が終わったある日の夕方、何もやることが無いので、寮の屋上に行ってみようということになった。
屋上で自分の大学の様子やとりとめのない話をした。
話の内容はほぼ忘れたが、その時の夕焼け雲がとても美しかったのが印象に強く残っている。

実習はどうかといえば、想像していた内容とは大きく異なり、金属を溶かす電気の溶解炉のしくみや管理の業務内容を教えてもらったり、灼熱の溶解炉を見学したりすることだった。
全く知らない世界で、担当の人も親身になって指導してくれて、勉強にはなったのだが、ここに就職することはあまり頭になかった。
実習の最終日、幹部と思われる人と面談があり、感想や今後のことを聞かれた。
地元から来ている学生は、スーツにネクタイ姿で、ぜひここに入りたい、宜しくお願いしますと好感度満点の回答をしていた。
相部屋だった長崎のアフロの彼は、貴社を一つの選択肢として検討しますというニュアンスの無難な回答をしていた。
最後に聞かれた私は、家電メーカーが希望なので、自動車メーカーは選択肢にありませんと言ってしまった。
その場が気まずい空気になったのを感じた。
幹部の人は、口には出さなかったが、「じゃあ、なぜ実習に来たんだ」と思ったに違いない。

今でも、美しい夕焼雲を見るとアフロの彼のハスキーな声と、実習の最後に大人げない回答をしてしまったことが思い出され、何とも懐かしい思いが湧く。
同時に、実習の最後に大人げない回答をしてしまった未熟な自分に対して、恥ずかしくて情けない気持ちになるのだけれど、40年以上たった今でも、本質は変わっていないのだろうと思い知らされることがときどきある。