自転車徘徊紀行 第20話 芸予諸島

いつものように、40年くらい前の話だ。

会社に就職し最初に配属されたのが広島県内だった。
配属された製品開発を担う職場は常にピリピリしたムードで、学生時代サボっていた私は知識の面でも分からないことばかりで、どちらかと言えばつらい(いや、実につらかったかもしれない)毎日を送っていた。

その反動だろうか、土日になると必ずと言ってよいほど、自転車でツーリングに出かけた。
一番多く出かけたのは、瀬戸内海の島々だった。
内陸部の東広島市という所に住んでいたが、安芸津や竹原といった港町まで25km~30kmくらいなので、帰りの登りは多少足にこたえるものの、フェーリーで渡った島のほぼ平坦な海岸線をなぞることはそれほど苦にはならなかった気がする。

島々の中でも一番多く通ったのは、大崎上島、大崎下島、下蒲刈島、上島蒲刈島に代表される瀬戸内海の芸予諸島の西半分だろう
当時、本四架橋、尾道-今治ルートの開通で脚光を浴びる因島や大三島がある東半分と比較すると、ずっと静かで交通量も少なかったからだ。
しかも、これらの島々をつなぐ連絡船は地方の陸上バス並に頻繁に行き来していたため、竹原港、安芸津港、仁方港、川尻港、のいずれかの港からフェリーまたは高速艇で渡ることが出来た。

注)その後、いくつかの橋が開通したことにより、航路もだいぶ廃止されたようです。しかも、現在進行形で廃止が進んでいる模様。訪れる際は事前によく確認をお願いしたい。

芸予諸島

 

フェリーの時間をあまり気にしたくないときは、竹原港から大崎上島の白水港か垂水港に渡るのがおすすめだ。白水港と垂水港の両港は2,3キロしか離れていないので、どっちに渡っても大差無い。昼間だと30分から1時間くらい間隔で出港している。所要時間は25~30分くらいだろうか。船の発着を知らせるBGMは「瀬戸の花嫁」だったと記憶しているがあまり自信がない。

大崎上島は一周30キロくらいのみかんと造船の島だが、港付近は若干交通量が多いものの、島の南半分はかなり安心して走ることができる。木江という町には郷愁を誘う古い屋並があり、三階建ての木造の家があったりする。昼飯時にこの町をとおると造船所からぞろぞろと自宅へ帰る所員達がいて、何かほのぼのとした気分になる。木江の中心から南へ2キロほど、中ノ鼻といわれる岬近くの海水浴場の防波堤の上に寝転んで、四国の山々や近くの島々、穏やかな海上を行き交ういろんな船を眺めながらビールを飲めば、明日は月曜にもかかわらず、気分はまさに「A LONG VACATION」といったところ。
そして、大滝泳一の名曲「カナリア諸島にて」を口ずさめば、真夏の昼の夢に落ちていきそうだ。

この中ノ鼻の高台には観光ホテルが建っているが、私が広島に来た当時は、国民宿舎であり、その頃、宿泊したことがある。
夜、TVをつけるとプロレスを放送していた。
そして、たまたま、ロードウオーリアーズの日本デビュー戦をやっていたのだが、それまで見たプロレスとは全く違う圧倒的パワーを見せつけられた。
「どう考えても日本人レスラーが勝てるわけねーよな」などと驚き呆れた後、一人窓から見た瀬戸内海の夜景は、打って変って実にロマンティックなものだった。

中ノ鼻付近の海域は日本屈指の船舶通過量があるという。
霧笛を「ボー」と鳴らしながら通過していく客船の沢山の窓のあかり、タグボートに引かれる巨大なコンクリートブロックの黒いシルエット、そして裸電球のような漁船の小さな明かり。
漁船はいたるところに散らばっていて、停止しているものがあれば、ポンポンと軽快な音をさせて移動していくものもある。
近くの漁船を良く見ると、闇の中に漁師の姿がかすかに照らし出され、漁師同士の会話や漁業無線を通じた声が聞こえてくる。
瀬戸内海の夜は思っていたよりも遥かに饒舌であり、美しく様々な色の光が散りばめられた幻想的なものだった。

大崎上島からフェリーで大崎下島へ渡り、当時も橋でつながっていたように記憶しているが、豊島や下蒲刈島、上蒲刈島をゆったりと周回するのは楽しかった。 当時は呉市と橋がつながっていなかったせいか、交通量はかなり少なかったと記憶しているが、現在はどうだろうか?

20代の頃に通った瀬戸内海の風景を想うとき、真っ青な海や濃い緑の木々が、とても明るく美しい印象として蘇るのだが、同時に当時の決して明るいだけではない自分の心の中も思い出され、懐かしいような切ないような何とも言い難いものが目の奥をツーンとさせるのであります。