自転車徘徊紀行(第28話)印象的な人々

自転車によるツーリングを始めたのは、大学の2年生の頃だったが、長期連休のたびに、単独で一週間程度の旅に出かけるようになった。
その頃が、旅で出会う人や風景、何もかもが新鮮で、旅から戻ると何かやり遂げたような充実感があって、根拠のない自信が芽生えているのであった。
秋の夜長、そんな大昔のことを思い出したりしていると、自転車の旅での、短い出会いやほんの一瞬のすれ違いにかかわらず、なぜか思い出される人たちがいる。

 

以前、四国山中で早朝に出会ったお婆さんのことを書いたが、自転車で一瞬すれ違っただけなのに、私に向かって手を合わせる姿は、何やらミレーの絵画のイメージで記憶に残っている。

 

真夏の阿蘇の外輪山で、暑さにたまらず休憩していると、大きめのボトルを付けたツーリストと出会った。
その人は、ボトルから赤い水をキャップに注いで飲んだ。
まさかと思ったが、それはワインだった。
暑い盛り、喉が渇いたらワインを飲むとは・・・
身体に悪いだろうし、そもそも飲酒運転ではないか。(その頃はあまり厳しくなかったとはいえ)
風流だねとはとても思えなかったが、後日、自分もやってみようとアルミのボトルにビールを入れて走ってみた。
喉の渇きにはやっぱりビールだろう。
さて、飲もうかとボトルのキャップを開けたら・・・
悲惨なことになるのは誰もが想像つくだろうに。
最近では炭酸飲料用の保温ボトルがあるらしいが。

 

自転車ではなく、熊本市内でバスに乗っていた。
中心街のにぎやかな通りの横断歩道を1台のランドナーに乗って渡ろうとしている男が目にとまった。
20歳台だと思うが、やや場違いな感じもしたが、ニッカボッカで渋く決めていた。
カッコいいなあと一瞬思ったが、その人はパイプをくわえていた。
他人の嗜好をとやかく言えないが、パイプはちょっと浮き過ぎだろう。
「探偵ホームズか何かのコスプレか? 自転車乗る時は禁煙しろよ!」と心の中でつぶやいていたのだった。

 

長野県の万座峠を登っていると、道端で作業をしている夫婦がいた。
目が合ったとたん、呼びかけてきた。
「にいちゃんは昨日テレビに出てた人だよね、名前なんだっけ?」
俺も有名人になったのかと一瞬錯覚したが、TV出演した記憶はなかった。

 

高千穂から椎葉村を目指し、飯干峠を登っていると、原付に乗った林業関係者と思われるおじさんが後ろから声をかけてきた。
しばらく休んで、世間話や時事問題について会話した。
「捕鯨が問題になっているが、こんな山間部では蛋白源として鯨肉は重要なのよね。外国はそんな事情なんて知らんのよね」と言っていた。
さて出発しようとしたら「ロープもあるから、原付で引っ張ってあげる」とおっしゃる。
「いやいや、自分の足で走るのが目的ですから」といってもなかなか理解してくれなかった。
とても、良い人だったのだと思う。

熊本から大分県、福岡県を経由し、関門トンネルを抜けて、山陰の海岸沿いを京都まで走ったとき、たまたま出会った三人で、山口県から鳥取県あたりまで、数日間の比較的長い道連れとなった。
一人は福岡の人で日本一周を始めたところだとのこと。
旅立った時、地元新聞に取り上げられたらしく、本人の写真が掲載された記事の切り抜きを見せてくれた。
どうも、多くの人に「バンザイ!」と派手に見送られて出発したようだ。
でも、気合が入っているわりに、自転車の整備が悪いのか、細いタイヤがチビッてしまっているのか、一日に何回もパンクするので、真っ暗になるまで走る羽目になった日もあったりして、閉口してしまった。
数年後、長野県に住むもう一人の人と再会し、「日本一周のあの人は達成したのだろうか?」「きっと、途中で断念したと思うよ」といった会話をしたのだった。
今日の宿に着くのは何時になるだろうかと不安になりながら、自分としては普段はありえないようなスピードで走った。
今でも、道路に長く伸びる自転車にまたがる三人の影と、日本海に沈むでっかい夕陽を思い出すのであります